「社畜」の心が折れた瞬間

TeamHackersをお読みの皆さん、こんにちは。ニュージーランドで働くプログラマの「はっしー」です。

皆さんは、人生の中で“心が折れた”経験はあるでしょうか?

2011年1月16日、日曜日。ぼくは、いまでもはっきりと覚えています。その日、3年の間職務に忠実にあろうと努め続けてきた社畜の心が、「ぽっきり」と折れました。

2008年、文系学部の新卒からシステムエンジニアになった僕は、社運をかけた一大プロジェクトの一員として長時間労働に従事する日々を過ごしていました。

終電帰りは当たり前、ときには土日を潰して働くのも珍しくない日々。ゴールデンウィークや夏休みがまるまるなくなったこともあります。

しかし不思議なことに、長時間労働そのものが辛いと思ったことはあまりなかったのです。プログラミングや設計の技術を学ぶこと自体が楽しかったし、周りからの期待にこたえようと頑張る気持ちのほうが辛さより大きかった。

なにより、働けば働くほど残業代で儲かるわけで、「長時間労働おいしいじゃん」なんて思いすらあったのでした。

……ところが、そのときは違いました。システムのリリースを直前に控え、年始から14日連続での勤務が続いていたその日。

「あっ、これ以上働いたら死んでしまう」

パソコンのスクリーンを見つめながら直感的にそう感じた僕は、カバンもスマホもすべて置きっぱなしにして、財布だけを手に事務所をあとにしました。そして、そのまま実家へと逃げ帰ったのです。

与えられた仕事をぶっちぎって脱走したことなど、後にも先にもこのときしかありません。

社畜の心を、何がここまで追い詰めたのでしょうか。話は少し前までさかのぼります。

プログラマから「ライブラリアン」への転身

新卒1年目の頃は、プログラマ見習いとして朝から終電までコードを書き続ける生活を送っていました。

もともとプログラミングに興味を持ってIT業界に飛び込んだ自分にとっては、大変ではありつつも充実して仕事に取り組めていたと記憶しています。

しかし「システムエンジニア」という仕事にありがちなのが、プログラミングは新人のうちに”卒業”させられるということ。2年目になった自分に任せられたのは、協力会社から納品されたプログラムのバージョンを管理する「ライブラリアン」なる仕事でした。

「なるほど……まずはほかのプロジェクトでどう管理しているか聞いてみよう」僕は周りの先輩に尋ねてみました。

そこで見せられたのは、納品されたファイル名と日付が羅列されたExcelファイルの山。

いまにして思えば「それでどうやってバージョン管理するんじゃ!」とツッコみたくなるところですが、当時の僕にそんな知識などありません。まずはその方法を愚直に手作業でやり、半自動化するプログラムまで自作。そこまでしてようやく「もっと楽な方法があるんじゃないの」と疑いの目を持ち始めます。

軽く調べてみると、「Subversion」というライブラリ管理専用のソフトウェアがちゃんとあるじゃないですか!(※最近はライブラリ管理だと「Git」が人気ですが、当時はまだSubversionが主流でした)

しかしSubversionを正しく活用するには、プログラマひとりひとりへの教育が不可欠。ということで、ソフトの使い方や開発フローの資料を作り、社内体制を整えました。

ソースコードを一元化することができたので、テスト環境へのリリース作業もほぼ自動で行えるように。気がついてみれば、今で言う「継続的インテグレーション」のはしりのような仕事ができるようになっていました。

ここまでは割と順調だったのです……ここまでは。

気がつけば、孤独な単純労働の毎日

右も左もわからないなりに、ほぼ独学でライブラリ管理業務を形にしていった僕。その先に待っていたのは、まさかの単純労働地獄でした。

テスト環境へのリリースなど、ふつうは1週間や2週間に一度などのペースで行うものです。しかし僕が従事していたプロジェクトは、ほぼ毎日終電まで働かなければならないほどのスケジュール遅延が発生していたので、毎日のようにリリース作業が発生していました。

またシステムが本番稼働して以降も、突貫工事で作ったプログラムだけにバグが多発。相変わらずリリースの手間は減らず、それどころかテスト環境に加えて本番環境へのリリース作業まで発生して、仕事量は増える一方でした。

来る日も来る日も、止まらないリリース依頼をさばき続ける毎日。入社前に思い描いていたような、システムの設計からプログラミングまですべてできるクリエイティブな仕事とはほど遠い生活です。

客先の本番環境へもっていくためのCD-ROMを専用端末で焼いていると「こんな仕事誰がやっても同じじゃないか……」とどんどん落ち込んでいったのを覚えています。

しかもチーム内でライブラリ管理の仕事がわかる人間は僕ひとりしかいなかったので、相談できる相手が誰もいませんでした。

自分よりあとに入ってきた後輩たちは、先輩社員の下について一緒にクライアントへの打ち合わせに出向き、設計やコーディングを学んでいきます。

ところが自分には、技術を教えてくれる先輩もいなければ、ノウハウを教える後輩もいません。何から何まで自分一人でやらなければならず、システムエンジニアとしてのキャリアパスからも外れ、事実上の左遷ともいえる状況になってしまっていました。

何ら成長の実感を抱くことのできない単純労働。仕事の悩みを聞いてもらえる人のいない孤独感。このふたつが、じわじわと僕の心を押しつぶしていったのです。

大雪の中を職場逃亡。久しぶりに見た空の青さ

(このまま働き続けても未来なんてない……)

そんな絶望を抱え、自分をだましだまし働き続けた矢先にやってきたのが、記事冒頭の14連勤でした。年始にリリースしなければならない機能が不具合だらけで収拾困難となり、チームは前年末からほぼ休み無しの対応を迫られていたのです。

さらには、仕事のせいで当時遠距離恋愛をしていた彼女とのクリスマスデートを午前中で切り上げるハメになった恨みも重なり、業務に対するモチベーションはどん底まで落ち込んでいました。

前日からは近くのホテルに泊まり込みとなり家にも帰れず、慣れない枕と相部屋になった先輩のイビキのせいでろくに眠れなかった体を引きずりながら事務所にたどり着き、なんとかパソコンを立ち上げる。

1月半ばの強烈な寒気が、名古屋の街にも大雪を降らせ始めていました。

(自分はいったい何のためにがんばってるんだろう……)

そんなことを考えながらボーッとスクリーンを眺めていると、次の瞬間、目の前が真っ白に”とんだ”のです。

ほんのコンマ何秒だったかと思いますが、明らかに脳がフリーズしたと感じました。

(あっ、もうだめなんだ)

自分の時間をいくら犠牲にしてでも上司や周りの期待に応えなければいけない。そう信じて一生懸命、身を粉にして働いて来たけれど、もう全部おしまいなんだ。

気がついたときには財布だけを片手に黙って事務所を抜け出し、大雪の中、足を取られそうになりながら駅までの道を歩き、そのまま電車で実家に逃げ帰っていたのです。

自宅の最寄り駅に降り立ったときには、雪もすっかり止んでいました。あのとき見た空の青さを僕は一生忘れないでしょう。

こうして、社畜生活にほとほと懲りた僕は、新天地を求めて旅立ったのでした。

……と言いたいところですが、実はまだ話は終わりません。僕が日本を離れるまでには、もうしばらく時間がかかります。

次回は、僕が海外脱出を志した、決定的な体験についてお話します。

新入社員「オレ、定時で帰ります。」上司より先に退社キメてみたら…

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