きっかけは意外なものから掴んだ!海外プログラマーへの決意

TeamHackersをお読みの皆さん、こんにちは。ニュージーランドで働くプログラマの「はっしー」です。

前回の記事では、月100時間を超える残業地獄に耐えかねて、僕が職場を逃亡するまでをお話しました。

前回の記事:「社畜」の心が折れた瞬間

「なるほど、それがきっかけでニュージーランドに飛び出したのか……」と思ったそこのあなた。驚くなかれ、僕はさらに2年間同じ会社で働き続けたのです。

「君を追い詰めて申し訳なかった。人員を増やして、労働時間を減らす。今回はほんとうに悪いことをした。」

課長にそう頭を下げられて、あっさりと「もう少し働くか」と手のひらを返してしまったのでした。

正直に言って、社会人3年目のスキルレスSEでは再就職できるか非常に怖かった。結婚を意識していた彼女もいたので、大企業を辞めることに抵抗があったのも事実です。ま、その彼女とは直後に同棲を始めて2ヶ月で別れるんですけどね。

そんなこんなで、いろんな意味で手痛い傷を負ったまま、僕はふたたびシステムエンジニア生活に舞い戻りました。残業も月に30時間程度まで減り(それでも多いけど)、マイルド社畜としての生活を2年ほど続けたある日のこと。

転機は突如として訪れました。

突然やってきた海外出張

2012年12月、僕はシンガポールにいました。(ラッフルズホテルのバーにて、シンガポールスリングを片手に)

当時、僕の働いていた会社ではグローバル人材育成の動きが起きていたのです。

「これからは英語だ!国際化だ!誰か活きのいい若いのを出せ!!」

そんなお達しがあったかどうかはわかりませんが、ともかくも各部署から海外研修への候補生を推薦せよとの指令が下り、見事に僕が選ばれたのでした。

どうやら入社1年目に報奨金目当てで受けたTOEICが役に立ったようです(スコアは780点)。3週間のシンガポール研修で、語学学校で英語を学び、授業後は現地のマーケティング調査を行なうという内容。なんだか楽しそうじゃありませんか。

このときまで、僕は一度も日本から出たことがありませんでした。留学はおろか海外旅行にすらまったく興味がわかず、死ぬまで日本で暮らして一生を終えるのだとばかり思っていました。

しかし運良く仕事で海外に行けることになり、ふと良からぬ発想が頭をよぎります。

「海外プログラマ」への転職の野望に火がついた

2011年当時、オーストラリア在住の日本人Web系エンジニアが書くブログが話題となっていました。「仕事なんてクソだろ」を合言葉に、長時間残業当たり前、有給取れないのが当たり前な日本の労働文化を痛烈に批判する内容が、悩めるサラリーマンの支持を集めていたのです。

当然僕も愛読者のひとり。終電まで残業したあとの電車の中で「海外はいいよなぁ〜でも自分には縁のない世界だなぁ〜」とあこがれながら記事を読んでいました。

そのタイミングで降ってきた海外出張のお話。これはひょっとすると、自分でも海外で働けるようになるきっかけになるんじゃないか?……思い込み以外のなにものでもありませんが、なぜだかこのチャンスを無駄にしてはいけない気がしたのです。

そしてもう一つ。システムエンジニア(SE)の仕事をしながらも、僕はずっとプログラマに憧れていました。

ITに詳しくない方のために説明すると、SEとプログラマの仕事はかなり違います。SEが主にお客さんと打ち合わせをし、どのようなシステムを作るかを決めていくのに対し、プログラマはSEの作った仕様にしたがってコードを書いていく役割なのです。

僕の働いていたシステムインテグレータ(SIer)という業態では、プログラマよりもSEであることを求められます。なぜなら、そのほうが儲かるから。SIer業界では設計のできるエンジニアが高給取り、コードを書くのは単純労働者であると(少なくとも10年前は)みなされており、プログラミングの仕事は早々に卒業させられるのが常でした。

ビジネスモデルとしては理解しつつも、心の中ではコードを書く楽しさを忘れられず、プログラマになりたいと思い続けていたのです。その一方で、毎日長時間の残業を強いられ、しかもSEより安い給料で働いている下請けプログラマたちの姿を見ていると、とてもこの生活はできないとも感じていました。

ところが先ほど紹介したブログでは、プログラマでも海外では残業しないのが当たり前だし、毎年1ヶ月のバカンスを取るのも当たり前と書かれているじゃないですか!

こうして、僕の中に明確な野望が生まれました。

  • 「英語を勉強して、海外に転職する」
  • 「あこがれのプログラマになる」
  • 「残業ゼロ、毎年1ヶ月バカンスの生活を手に入れる」

海外研修を踏み台にして自分の人生を変えてやるぜ、と強く決意したのでした。いまだからはっきり言っちゃいますが、はなから社内のグローバル人材として活躍する気なんかなかったのです。高いお金を出して研修に行かせてくれた当時の会社の皆さんには、この場を借りてお詫びいたします。

残業のない生活が最高すぎた

(ホストマザーのアイリーンと一緒に)

さて、3週間のシンガポール研修が始まりました。弁護士のホストマザーの家に滞在し、バスで片道1時間ほどかけて市内の語学学校に通う生活。

もうね、めちゃくちゃ楽しかったですね。

数年ぶりに味わう残業ゼロ生活は最高すぎました。はやいときには午前中で授業を終えて、午後からは現地マーケティング調査……という名のシティ観光。

シンガポールは500円も出せばローカルフードがお腹いっぱい食べられるし、何を頼んでも美味しかったので、毎日違うメニューを楽しんでいました。ときにはホストマザーに連れられて、フィッシュヘッドカレーやチリクラブといった高級グルメに舌鼓を打ったり。

人生は、残業するほど暇じゃない。世の中にはこんなに楽しいことが溢れているのに、なぜ日が落ちてからもオフィスに閉じこもっていなきゃいけないのか!?

本気で残業ゼロのプログラマになってやる、という野心がメラメラと燃え上がるのを感じました。

自分の英語力に自信がもてた

(語学学校の先生と一緒に。顔がニヤけすぎである)

海外研修が決定してから、英語力を磨くために勉強を始めました。オンライン英会話を始めたり、毎日ビデオを見てリスニング力を鍛えたり……

そのかいあって、研修直前に受けたTOEICでは自己最高の880点をマーク。語学学校では、留学経験者たちに混じって最高レベルのクラスに割り振られました。

初めての海外生活だし、英語を実践で話すのもほとんど初めて。それなりに緊張していましたが、思いのほかスムーズに英語でコミュニケーションが取れたのですよ。100%英語での授業もまったく問題なくついていけたし、ホストマザーや同級生たちと雑談したり、冗談を交わすこともできた。

一緒に授業を受けていた留学経験者の日本人からも

  • 「いままで日本から出たことがなかったなんて信じられない」
  • 「よくこれだけ英語しゃべれるな〜とずっと感心していた」

とまで言ってもらえたんです。

この経験を通じて、自分の英語力に完全に自信がもてました。

もちろんいま考えると、先生が生徒にわかりやすい英語をしゃべるのは当然だし、語彙も文法もつたなくてミスばかりしていたと思いますが、「これなら海外でも暮らしていける」と確信できたのは事実です。

3週間の研修を終えて帰ってきた僕は、いよいよ海外プログラマへの転身に向けて本格的な準備を始めるのでした。

1ミリでも自分を目標に近づけるための行動が人生が変える

「海外でプログラマになるなんて、よく実現できましたね」と、いろんな人から驚かれます。中には、どうすればそんな転職ができるのか想像もつかない人もいるようです。

しかし僕が海外転職する最初のきっかけを作ってくれたのは、はるか昔に受験したTOEICでした。
780点はまあまあ高いスコアかもしれませんが、決して飛べないハードルではありません。

普通の人よりもほんの少しだけ海外を引き寄せる要素を持っていたことで、海外研修からその後の英語学習、さらにニュージーランドへの留学準備と、流れるように海外転職へとつながっていったんです。

もしあなたに、どうしても実現したい、でも実現のための方法がわからない目標があるならば、自分が目指す場所に1ミリでも近づけるための、小さな行動から始めてみましょう。

最近はTwitterやブログで先輩たちの体験談がたくさん聞けるので、まずはそうした情報に触れてみるのがよいと思います。ある程度の情報が手に入ったら、彼らの真似をして実際に手を動かしてみてください。

海外に出て働きたいなら、英会話スクールに申し込んでみるとか。起業して儲けたいなら、ブログや物販で1000円でも自力で稼ぐ体験をしてみるとか。

ちょっとした行動の積み重ねが、ある日突然大きな波を連れてきます。その波にのってしまえば、目的地まではすんなりとたどり着けるはずですから。

次回はニュージーランドを選んだ理由と、具体的な海外脱出までの方法についてお話します。

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