「生産性」の正しい意味についてもう一度考えよう

近年、世界中でLGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー)に対する偏見をなくし、人々の多様性について寛容になろうとする運動が行われています。その運動の甲斐もあってか、アメリカでは、大変人気の高いコメディアンで女優であるエレン・デジェネレスが同性愛者であると公言しているし、ジャーナリストであり、CNNの「アンダーソン・クーパー360°」のアンカーマンをつとめるアンダーソン・クーパーも同性愛者であると2012年カミングアウトをしていますが、同性愛者を公言していても、成功を収めている人がたくさんいます。アメリカ以外でも、ロード・オブ・リングでもおなじみのイギリス人俳優サー・イアン・マーレイ・マッケランも1988年に同性愛者であることを公言していますし、世界で最も成功した男性ソロミュージシャンの一人であるイギリス人のエルトン・ジョンも男性同士で事実上「結婚」をしています。

一方、日本はどうでしょうか。2015年のデータではありますが、日本におけるダイバーシティを進める取り組みを続ける電通ダイバーシティ・ラボの調べによると、日本人の人口のなかで、同性愛者などを含むLGBTと言われる性的少数者=セクシュアル・マイノリティ(以下、LGBT層)は、全人口の7.6%であると伝えています。 (参照:http://cococolor.jp/1550
この数は、決して少なくはないパーセンテージではないでしょうか。そしてこの数の人たちは、生物学的には子どもを生む事ができないからといって、「生産性がない」と一刀両断されてしまうのは、全く言語道断ではないでしょうか。 この記事では、本当の意味での生産性について考察をすすめます。

全人口の7.6%が生きづらい世の中?

ある衆院議員が月刊誌で、同性カップルを念頭に「子どもを作らない、つまり『生産性』がない」などと主張したことについて、抗議の声が広がっています。

7月27日の夜に、東京・永田町の自民党本部前には虹色の旗や「生産性で差別をするな」などと書かれたプラカードを持った人たちが大勢集まり抗議のデモを行なったと報道がありました。人々の列は、数百メートルとなり、参加者は約5千人にものぼったといいます。
この議員は、「生産性のないLGBTの支援に税金を使うなんて無駄」という主張を行なっており、この記事主張に大きな憤りを感じた人がどれだけ多かったことかがわかります。同時に、自民党内でも、彼女の意見を批判する議員が後を絶ちません。(参照:https://news.yahoo.co.jp/pickup/6291412

「生産性」とはどのような意味を持つのでしょうか?

「生産性」とは、少ない労力や投入した事柄から、より多くの価値を産むことを目指す概念です。「生産性が高い」とは、少ない投資から、多くの価値を産むことを表します。

企業において、「生産性」を使用するときは、投資コストが少ないながらも、かかったコストよりも多くの価値や労働を生み出すことができたり、またはコストが少ないまま、生産性をキープしつつも、余暇を増やすことができたりするときに、「生産性」という言葉を使用します。「生産性」とは、仕事効率を良くしようと日々業務に向かうときに、これからのビジネスパーソンはこの言葉を意識しながら、労働を続けているはずです。

一方、この「LGBTは生産性がない」というひどい主張にある「生産性」とは、人を子どもを生む道具のように考えていることがわかる非人道的な考えです。LGBTではなくとも、晩婚化がすすむ日本には不妊に悩む人が大勢います。他にも、結婚はするが、子どもを持たない、という選択をする夫婦もまた大勢います。この衆議院議員の主張は、このような子どもを持たない、または持ちたくても持てない人たちをも、子どもがいない、という部分において「生産性がない」とばっさりと切リ捨てていることになってしまうのです。

このままでは子どもも老人も生産性がないと言われてしまう

人はだれもが等しく尊い存在なはずです。「子どもの有無」から人を生産性で判断してしまう考え方から、もう1つ考えられる懸念があります。

人は、仕事において生産性を持てないのであれば、税金をかける権利すら持つ事ができない存在に成り下がってしまうのか、という疑問です。生産性がないから、まだ仕事が満足にできない子どもや、体が思うように動かない老人、そしてハンディキャップから一般的な仕事をすることが難しい人をも、「生産性がない」から無駄で、価値のない存在である、と考えていると言うに等しい主張を、国民の代表である衆議院議員が行なっていることに、心からあきれるばかりです。

子どもはこれからの世界の担い手であり、小ささ、未熟さから仕事ができなくとも、その存在は世界からも社会からも守られてしかるべき存在ですし、老人もまた、これまで生産を行なってくれていた大切な先輩。その先輩を、仕事ができなくなり、生産ができなくなったからといって存在価値がないと見なしてしまっては、これまでの日本を作ってきてくれた彼らの働きに対して、あまりにもひどい仕打ちではないでしょうか。

この衆議院議員の使う「生産性」の使いかたは、全くの間違いであることがわかります。「生産性」は、人にかかる言葉ではなく、人が行なうことにかかる言葉なのです

単一的な考えかたが生きづらさを呼ぶ

日本では、ドラッグクイーンのようなタレントや、オネエのキャラクターのような人が、公に同性愛などについてカミングアウトをしている人として一般的となっています。しかし、人口全体の約10%に近い人たちがLGBTなのであれば、彼ら、彼女らのように特徴的なルックスでない、もっと普通なルックスの人たちが自然に存在していても不思議ではないはずです。

それなのに、日本においては、同性愛について、特に職場では隠すことが一般的なようです。それは、同性愛者であると判明してしまうと、仕事に差し障りがでてしまうという危惧からくるものだと推察されます。日本は、世界の中でも珍しいほどの単一民族であるために、お互いに持っているはずの、少しの違いをなかなか受け入れられない風潮が見受けられます。

例えば、結婚をしているか、していないか。次に子どもの有無などについて言えば、諸外国において一種タブーであるこれらの問題は、本来個人的なことであり、他人に指摘されたり話題にすべきでない問題にもかかわらず、日本人は、これらのことに比較的無遠慮に質問したり、意見を述べる人が多いようです。その単一的な考え方が、知らずに周囲の人へ負担を感じさせてしまったり、最悪の場合追いこんでしまう可能性を忘れてはなりません。

寛容さについて学ぼう

つい10年ほど前までは、メールで告白しておつきあいを始めることは珍しく、そのような話に驚いたものですが、今やスマートフォン隆盛の時代。ラインでの告白もまったく珍しいことではなくなってきていることでしょう。数年前の常識も日々進化しています。周囲の人が自分と違う思考だったり、性的マイノリティーであっても不思議はありません。自分が知らない世界を知っている人を受け入れて、さまざまなものの見方や考え方を取り入れるチャンスを得ることにチャレンジするのもよいかもしれません。

今の我々に必要なことは、寛容さについてより学ぶことです。少子高齢化が顕著な日本においては、人生100年と称し、高齢になっても仕事を続けることを推奨する流れが生まれています。もしコンビニで、レジ打ちをするのが、90歳の人だったらあなたはどう思いますか? ゆっくりな動作に、イライラしてしまうでしょうか? もしそんなときは、世の中の多様性について、寛容になることを意識してみてください。きっと社会を、新しく見る視点を持つ事ができるかもしれません。LGBTについても同様です。もし性的マイノリティーの人が同僚にいたとして、何か問題なのでしょうか。彼らだって、いつも好奇な目で見られていたら嫌なことでしょう。異性愛者の人は、自分自身の性的指向について公言するときはあるのでしょうか?そんなことは必要ないはずです。LGBTの人だけが、カミングアウトしなければならないとしたら、それこそ差別的なことではないでしょうか?

まとめ

生産性とは、人について使用するのではなく、人が行う仕事について使われるべき言葉です。

そして我々にいま、求められているのはLGBTについて好奇な目を向けるのではなく、受け入れることと、理解することではないでしょうか。

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