文系卒でエンジニアになった僕は、いかにして「社畜」になったか

TeamHackersをお読みの皆さん、はじめまして。

ニュージーランドで働くプログラマの「はっしー」と申します。この国に住んで今年で5年目、4月には正式な永住権を取得する予定です。

現在働いている会社には、残業というものがほとんどありません。毎日朝9時から夕方5時まで働いたらそのまま帰宅。年間20日ある有給はすべて使い切るのが当たり前で、昨年末は1ヶ月の休みを取って日本に一時帰国しました。

また給与は国内でも最高水準なうえ、ランチは無料、お菓子やジュースも食べ放題飲み放題。毎週金曜日には会社でビールやワインも飲めます。

と、控えめに言ってもしあわせな海外サラリーマン生活を謳歌しているのが今の僕です。

僕は、こうして社畜になりました。はじめに。

数年前までは典型的な「社畜」でした。

  • 一ヶ月に100時間を超える残業
  • お盆も年末も関係なく休日出勤
  • 当然、有給休暇など使うヒマもなし

心身ともに疲れ果て、あわや過労死寸前とも思える淵から、僕は必死になって「脱社畜」の生活を手に入れたのです。

この連載では、壮絶なブラック企業とゆとりあるホワイト企業、両方の働き方を見てきた僕の経験から、

  • 人はなぜ社畜になってしまうのか?
  • 脱社畜を果たすためには、何が必要なのか?

についてお話していきます。

かつての自分のような、理不尽な労働環境の中で苦しんでいる方のお力になれれば幸いです。

第1回目、まずは日本でサラリーマンをやっていた頃から話を始めましょう。

「文系でも大丈夫」その言葉にひかれてシステムエンジニアの道へ

ときは2007年にさかのぼります。

翌年に大学卒業を控えていた僕は、リクルートスーツに身を包んであちこちの就活イベントに足を運んでいました。

工学部ならメーカー、経済学部なら大手メガバンクなど、友人たちは自分の得意分野や専門性を活かして業界を絞り、効率よく就活を進めていきます。

しかし僕はといえば、文学部の日本史専攻という、お世辞にも仕事の役に立つとはいえない分野を勉強しており、会社選びの基準がまったくわからない暗闇の中での就活を余儀なくされていたのです。

勉学よりもサークル活動にうつつを抜かすダメ学生だったので、大学院に進んで研究者を目指したり、学芸員として博物館に勤めたりする道は到底考えられませんでした。

自動車、食品、エンターテインメント、金融、アパレル。

思いつく限りの業界の説明会に顔を出してみたものの、そこで自分が働けるイメージが一向に湧いてきません。

「いったい自分はどんな仕事がしたいんだろう……」

考えれば考えるほどわからなくなり、あてもなく合同説明会の会場をふらふらしていると、ある企業のブースからパンフレットを手渡されました。その表紙にはでかでかとこう文字が踊っていたのです。

「文系も歓迎! システムエンジニア」

あれ?システムエンジニアってIT系の仕事じゃないの?理系じゃないとできないと思ってたけど、文系でも大丈夫なの?

とりあえず話だけでも聞いてみるかとブースに足を運んでみたところ、みるみるうちにシステムエンジニアへの興味が強くなっていきました。

ほかの仕事や業界と比べてもっとも違ったのは、スキルアップの道のりがはっきりしている点です。

入社して1〜2年はプログラマとして開発技術の基礎を勉強する。プログラミングを学んだら、クライアントと直接打ち合わせし、システムの仕様を作成する仕事を学ぶ。最終的にはプロジェクトマネージャーとしてひとり立ちし、多数のメンバーを束ねながら、システム開発を成功に導いていく。

……なんてわかりやすいんだ!!

今まで濃い霧の中を手探りで進んでいた自分の就活に、突然輝く道が現れた瞬間でした。

取得できる国家資格も多いし、受験勉強が得意だった自分のスキルを活かせるかもしれない。それに、自分の技術でモノを作れるなんておもしろそう。僕のようなスキルのない文系学生でもできるなら挑戦してみたい!!

こうして、希望職種をシステムエンジニア一本に絞りました。

自分がこの先、社会の一員として生きていくための第一歩を自信を持って踏み出すことができた。当時は本気でそう思いました。

今にして思えば、これが社畜の道へと続く第一歩だったのです。

入社してからはITの勉強にのめりこむ。しかし……

複数のIT企業から内定をいただくことができ、最終的に某大手メーカー系の中堅子会社へと入社を決めました。

システムインテグレータ(SIer)と呼ばれる業態で、比較的小規模のシステムを多く手がけており「設計からプログラミングまで幅広く携わることができる」というのが入社を決めたポイントでした。

また、特にプログラミングに興味があった自分にとっては、「コードを書くなんて下請けの仕事」と考えている大手よりも、末端の開発まで自社で手がけている中小企業のほうが価値観が一致していたのです。

さて実際にIT業界に飛び込んでみた感想は……

「この仕事、向いてるんじゃね!?」

でした。

最初の3ヶ月は新人研修として、プログラミングやネットワークの基礎、要件定義の技術などを学びましたが、これがことごとく楽しかった。

特にプログラミングに関しては、自分の書いた文字列がアプリケーションとして機能することに心底感動し、自宅に帰ってからも自主的に勉強するほどのめり込みました。

入社1年目で「基本情報技術者」「ソフトウェア開発技術者(現・応用情報技術者)」と2つの国家資格にも合格し、会社から報奨金をもらうまでに。

ところがしばらくして、ある大型プロジェクトに配属されたときから、風向きが変わっていきます。

あれよあれよという間に長時間残業へそのプロジェクトへ配属された初月、いきなり残業時間が60時間を突破。2ヶ月目には70時間、3ヶ月目には80時間とみるみるうちに残業が増え続け、あっという間に月の残業時間が100時間に達してしまいました。

あとから聞いた話によると、このプロジェクトは社運を懸けた一大事業として受注したものの、あまりの大きさにコントロールできず、初っ端から大幅な遅延が発生。初代のマネージャーが解任され、当時の僕の上司が代打に入ったといういわく付きのものだったようです。

すでに大炎上しているプロジェクトに放り込まれてしまった新人に、なすすべはありません。朝8時の満員電車で会社に行き、9時から夜11時半まで働き終電に飛び乗って、夜2時に寝る。いつしか、そんな生活が当たり前になっていきました。

かくして僕は立派な社畜となり、残業漬けの生活をその後3年に渡って続けることになるのです。

純朴な新卒学生が社畜になってしまった3つの理由

最後に「なぜ僕は社畜生活から逃げ出す選択をしなかったのか?」についてまとめてみます。

長時間労働や過労死がニュースで取り上げられると、必ず「辞めればよかったのに」と意見する人が出てくるもの。しかし、社畜には社畜なりの辞められない、あるいは辞めない理由があるのです。

「就職したらまず3年は頑張る」という言葉を真に受けていた

2008年当時は今と違って、新卒一年目で会社を辞めるのは一般的ではありませんでした。「なにがあってもまずは3年頑張れ」と当たり前のように言われていた時代です。

良くも悪くも周りの言うことを聞くのが得意だった僕も「そういうものか」と真に受け、とりあえず3年は続けようと考えていました。

自分の気持ちや体調よりも世間体や常識を優先してしまう人は、社畜になりやすいと言えるでしょう。

会社を選べるだけのスキルがなかった

文学部卒で大した資格もなく、ITエンジニアとしてのまともな開発スキルもまだ身についていなかった自分は、会社を選べる立場ではありませんでした。

むしろ、一日中プログラミングをやらされる環境に置かれていたため、この残業地獄を乗り切れればエンジニアとして成長できると信じていたのも事実です。

「大学生のうちは遊ばないと損」などと言われますが、本当に遊びほうけてばかりいると、最低限の環境を選ぶスキルすら身につかない可能性があります。学生の皆さんは気をつけてください。

なんだかんだで高収入に満足していた

当時の僕の初任給は、月額20万円程度。そこから税金、保険料、年金などを差し引くと、手取りは13万円ほどしか残りません。家賃や毎日のランチ代なんかを差し引くと、正直これでは贅沢できない。

ところが、月100時間も残業すると手取りが30万円近くにまで跳ね上がります。買いたいものをAmazonでポチりまくっても、たまの休みにデパートで服を買い漁っても、銀座で回らない寿司を食べても、余裕で貯金ができるほど。

まだ体力のある20代。働けば働くだけ収入の上がる生活に、なんだかんだで満足していたのは否定できません。

スキルはないけど、時間を売れば金が増える。この味を覚えたとき、人は社畜になってしまうのです。

次回は、社畜の心身が限界を迎える瞬間についてお話します。それではまた。

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