分子ガストロノミーという言葉をご存知でしょうか。調理を物理的、化学的に解析した科学的な学問分野のことです。分子料理と聞くと最先端の科学的な調理法というイメージがわきます。例えば液体窒素や遠心分離機、注射器、試験管など普通の調理法では考えられないような実験室にあるような材料や器具までも用いて分子レベルで調理します。
例えば液体窒素で煙がもくもくと出てくる料理やキャビアだと思って食べてみたらメロンの味がするなど不思議な料理のオンパレードです。盛りつけも斬新でアヴァンギャルドでインスタ映えしそうです。
何となく食べログを眺めていたある日のこと。分子料理が約3000円から食べられると書かれたお店を偶然、車で30分程度のところにあることを知り行ってみることにしました。普通、分子料理というと一流ホテルや一軒、構えたお洒落なレストランで軽く数万円はかかるはずなので不思議に思ったからです。最先端の料理をインスタにでも載せてお洒落な気分でも味わえるのだろうかと行ってみたら正反対の体験をすることになりました。
分子ガストロノミーの有名店
通常、分子ガストロノミーの手法を取り入れた有名店は高級店が多いのです。3000円から食べられるのはどういうことだと思いました。
分子料理を代表する名店や食べられる有名なお店を簡単にご紹介しておきます。
エル・ブジ
エル・ブジは「世界一予約が取れないレストラン」として知られたスペインの3つ星レストランです。2011年に料理長があまりにも忙しすぎるという理由で閉店した幻の有名店です。ドキュメンタリー映画にもなるほどでamazonのプライムビデオでも視聴することができます。
日本人でもエル・ブジで修行した人もいて独立して分子調理法を取り入れた料理を提供しているシェフもいます。
INUA(東京)
INUAはデンマークの「世界のベストレストラン」でNo.1を4回とった実績のある「noma」のDNAを受け継いだレストランです。2018年の6月にオープンしました。飯田橋の出版社「KADOKAWA」の中にあり話題になっています。フランスで新たに創設された世界規模の食のアワード「ワールド・レストラン・アワーズ2019年」で「今年の新店」部門で世界一に輝きました。
→公式HP:https://inua.jp/
タパスモラキュラーバー(東京)
タパスモラキュラーバーは東京の高級ホテル、マンダリンオリエンタルの中にある分子ガストロノミーの手法を取り入れていることでも有名な新感覚レストランです。トリップアドバイザーで東京レストラン部門で1位に輝いたこともある独創的な料理を楽しめる有名店。
SHOKUDO Yarn(石川県)
「世界一予約がとれないレストラン」エル・ブジで勤務経験もある夫妻が地元の石川県で開いた分子ガストロノミーの手法も用いた創作料理を提供している名店です。私も地元なので一度、行ったことがあるのですが世界中から予約客が来るそうです。石川県の素材を用いた斬新な料理が楽しめます。
→公式HP:http://shokudo-yarn.com/
ただし、今回の記事で私が行ったお店はこれらのお店ではありません。
予約なしで分子ガストロノミーを食べに行ったら大阪のオヤジが登場
私はその日なんとなく美味しくて変わったものを食べたいと思い偶然「食べログ」で見つけた分子ガストロノミーのお店に予約もせずに足を運んでみました。普通は分子料理というと高級でかなり値がはるのに3000円台から・・・と書かれていて気になったからです。
そして戸を開けるとアヴァンギャルドでモダンな空間でお洒落な雰囲気・・・に似つかわしくない大阪弁で大声で電話をしているオヤジが一人。予約のない私は、ただ呆然と戸を開けて立ち尽くすだけでした。黒いシャツを着てきて「ちょい悪オヤジ」と書かれていました。そして色付きのグラスをかけていました。
あれ? 分子料理って何かの間違いだったのだろうかと不安に思いましたが電話が終わると私の方に大阪弁の強面のオヤジがやってきました。
「どうしよう・・・」
約1時間延々と大阪のオヤジの話を聞く
大阪弁のお洒落なイメージに似つかわしくないは店主でした。分子料理が食べられると聞いて入店したことを伝えると
一人で予約なしで分子料理…?そんなん、ちゃんとしたのやと2万ぐらいかかるで!
と言われました。ネットで読んだのとなんだか違うなと思いながらも大阪のオヤジのマシンガントークは続きました。そして大阪のオヤジの一人語りが延々とはじまりました。なんだか私には良く分かりませんでしたが、
フランス料理を出すにはフランス語からフランスのガリアまで遡って風土と歴史を学ばなあかんで! 日本は農耕民族で狩猟民族とは違うんや! それを分からせるためにアメリカの日本料理店を黙らせる日本料理の真髄を作ったんや! ワシは外国でも仕事をしとったんや! フランス大使館が…
などと、あまりに早口で内容も難解だったたのですがなんとなく只者じゃない感じがしました。
私は何となく変わったシチュエーションには顔を突っ込んでみたくなる性格なので、そのまま大阪のオヤジの話を聞き入ることにしました。
不純物を感じない野菜
延々と大阪のオヤジの話を聞いていると、
お前厨房見てく?
と言われ厨房の中に入れてもらうことになりました。そして単なるレタスを一枚渡されこう言われました。
分子ガストロノミー?あんなものは古い!いま、主流なのは分子ガストロノミーの手法を使ったクラシックや!
何だか良くわかりません。しかし渡され食べてみると単なる野菜が不純物を一切感じない純度の高い味がするのです。
市販のレタスは雨が溶け込んでいたり虫がマーキングをしていたり不純物が多い。このレタスは分子ガストロノミーの手法で不純物を取り除いたレタスや!
単なるレタスなのですがレタスの味しかしません。余計な味が確かにしないのです。そしてオヤジは私に
ホテルとかが料理の最先端だと思うやろ? ちゃうで。ホテルとかは採算があうように、いろいろ事前に検証したりせな、あかんから最先端ちゃうねん。
本当の最先端は街のイかれたおっちゃんの店みたいなところから生まれるんや!
そして、
分子ガストロノミーの手法を取り入れた賄いならつくったるわ!
と言われました。
本当にこの大阪のオヤジは分子料理なんて作れるのだろうか? でも意外とこういう只者じゃない感じのオヤジがすごい料理をつくる気もすると思い作ってもらうことにしました。
賄い分子ガストロノミーをつくってもらう
賄い分子ガストロノミーを私は3000円でつくってもらうことにしました。大阪のオヤジが言うには店はほぼ儲けなしで趣味でやっているそうで3000円分の材料費で作れるものを作ってくれると言うのです。出てきたのは・・・
- サラダ
- 謎の小鉢
- フレンチフライ
- ドリア
- キャベツに包まれた魚
- 単なるクリームとスポンジだけのケーキ
などが順に出てきました。
すべて分子ガストロノミーのアヴァンギャルドな雰囲気にはほど遠い普通の洋食なのですが全て分子ガストロノミーの手法を用いたクラシック、つまり普通の料理が次々に出てきました。
カウンターで次々に食べるとテンポよく次の料理がちょうど良いタイミングで出されてきます。
オヤジは軽快なリズムに乗って器用に料理をつくっていきます。
毎度毎度、大阪のオヤジは「食べれば・・・分かる!」と言います。
そして出された品、一品一品を食べるのです。私は驚きました。単なるサラダは純度が高く余計な味がしないサラダ本来の味。フレンチフライも単なるフレンチフライではありません。
ドリアは大阪のオヤジが言うには「チーズを使った簡単なドリアは偽物や! これが本物や!」と出してきます。食べてみると単なるドリアなのですが、とても美味しい。キャベツに包まれた魚にかけられたシチリア風のレモンソースも即席でつくったにも関わらずソースだけを舐め続けられるほどの美味しさ。
デザートのケーキはクリームとスポンジだけ。しかしスポンジは非常に繊細でクリームも純度が高い濃厚なクリームで余計な味付けや装飾なしで食べられるのです。
大阪のオヤジは分子ガストロノミーの手法で普通のどこにでもある料理を作ってきたのです。
私は結果的に3000円で美味しい料理を食べて満足して帰りました。その一方で大阪の謎のオヤジがカウンター越しに料理を出してくれる中で、言い放つ一言一言に仕事人としての哲学を感じました。
料理人から学ぶ仕事哲学
大阪のオヤジ(料理人)は早口で良く喋る人でしたが、一言一言がとても印象的でした。あえて言葉を選ばずに表現すると変わったオヤジでしたが言葉に哲学があるのです。
食べれば分かる
料理を出してくる度に色々、説明はしてくれるのですが最後に「食べれば分かる」と言って料理を出してきました。
そして食べると「分かる」のです。
レタスは余計な味がしませんし、フレンチフライもこれが本物のフレンチフライという料理なのか・・・と思える味でした。食べたら本当に分かる料理を出してくるのです。
食べた人が幸せになってほしい
大阪のオヤジは食べた人が幸せになってほしいために趣味で店をいまではやっていると言います。
早口の中に何度も食べた人が幸せになってこその料理なのだと言っていました。私も最初は店に入って驚きましたが幸せな気持ちでディナーを楽しめました。
セッションを楽しむ
どうして予約もない一人で来た私に料理をつくることにしたのか理由を教えてやると言われました。オヤジは料理はセッションなのだと言います。コミュニケーションを楽しみにながらリズムに乗って即興で料理をつくるのが好きなのだと言います。
料理中のオヤジの顔は楽しそうで真剣そのもの。
私が大阪のオヤジから学んだ大切なこと
大阪のオヤジは最初見たときは本当にこの人がアヴァンギャルドな分子ガストロノミーの調理法ができる料理人なのかと思いましたが食事を出され会話をする中で最近の私が忘れていた仕事に対する態度の学びがありました。
仕事の態度や成果物だけで伝わるものが一流
「食べたら分かる」これは料理によほど自信がなければ言えないのではないでしょうか。他の仕事でしたら
- デザイナーなら「見れば分かる」
- ライターなら「読めば分かる」
- アプリ開発者なら「使えば分かる」
- 歌手なら「聴けば分かる」
でしょう。成果物やサービスを通して一流は仕事の質を認めてもらえるだけのものを提供できるのです。誤魔化せません。
自分の仕事に対して「〜すれば分かる」と自信を持って提供できるでしょうか。
本物の一流の仕事人になるためにはサービスや成果物で「〜すれば分かる」と自信を持って提供できるようになりたいものです。
良く独立したてのフリーランスや自営業者で「月収100万円達成!」とかサラリーマンで「年収1000万円!」みたいな数字を表に出す人がいます。確かにお金は大事です。稼げる方が夢もありますし個人的には、そう言った数字を表に出すのも悪くはないと思います。
しかし、そういう人に限って成果物やポートフォリオ、仕事の中身が良くわからないことが多いのです。本物の一流は、そんな数字ではなく仕事そのもので勝負できる人だと私は思いました。
相手が幸せになってくれる仕事をしよう
「食べた人が幸せになったほしい。」という旨のことを大阪のオヤジは言っていました。これも仕事をするうえでとても大事なことです。
- サービスを作っている人なら「使った人が幸せになれる」
- ライターなら「読んだ人が幸せになれる」
- 歌手なら「聴いた人が幸せになれる」
そんな思いで仕事ができるのが一流なのではないでしょうか。やはり幸せにしてくれそうな人に仕事を頼みたいと思います。
コミュニケーションを楽しもう
大阪のオヤジは料理はセッションだと言っていました。客とコミュニケーションをとりながら、その時のリズムや雰囲気で料理を考えだしてくるのです。
他の仕事なら例えばクライアントや内部のチームとのコミュニケーションを楽しみながら仕事ができているでしょうか。コミュニケーションを楽しみながら良いものをつくっていくという姿勢は仕事をしていくうえでとても大切です。
歌手なら聞き手とのコミュニケーションを楽しめているでしょうか。
デザイナーならクライアントとのやりとりを楽しめているでしょうか。
ライターなら編集者とのコミュニケーションを楽しみながらメディアを作れてるでしょうか。
分子ガストロノミーも最先端のテクノロジーも手段にすぎない
私は分子ガストロノミーの斬新な調理法やインスタ映えを求めて分子ガストロミーの料理を食べに行きました。しかし逆に分子ガストロノミーも単なる手段に過ぎないことを思いしらされました。これは他の分野にも言えることです。
AIやVR、ブロックチェーンなど新しいテクノロジーが次々に生まれている現代社会。しかしテクノロジーを支える基本的な仕事の姿勢が土台になければ技術に踊らされるだけの残念な仕事をしてしまうのではないでしょうか。
まとめ
分子ガストロノミーは科学的な調理法を駆使するアヴァンギャルドで科学的な調理法です。分子料理の技法を取り入れた名店は人気です。興味がある方は分子ガストロノミー料理を特別な日に楽しんでも良いのではないでしょうか。
一方で分子ガストロノミーそのものは手段です。土台になるのは
- 食べれば分かると言えるだけの自信のあるものを出せること
- 食べた人を幸せにする
- コミュニケーションを大切にする
この3点で他の仕事でも大切なポイントです。ちなみに今回、私が訪れたお店は
- むささび亭(公式HP:https://musasabitei.gorp.jp/)
セルフ形式で店主によれば20000円出せば20000円分の料理をつくってくれるそうです。