現在私は正社員として働きながら、副業でフリーランスの仕事をしています。周囲の人にその話をすると、「そんなにお金が必要なの?」といわれることがありますが、私が副業をする理由はそういうことではありません。
私はあるとき、会社に依存したくないという思いがあることに気づき、もうひとつのキャリアを作り始めました。今回の記事では、私がこのように考えるようになったきっかけをまとめていきたいと思います。
漠然と今のキャリアや仕事に不満・不安を感じている方は参考にしてみてください。
リーマンショック後の就職活動
2008年9月、投資銀行のリーマン・ブラザーズ・ホールディングス(アメリカ合衆国)が経営破綻したことが影響し、世界各地で金融危機が発生しました。日本も例外ではなく、 その影響は当時の就職活動にまで及びました。
今とは全く違う就活の形
まずは私の仕事観のベースにある体験として、大卒時の就活から振り返りたいと思います。
私が大学新卒として就職活動していたのはリーマンショック直後のこと。景気は最悪でした。友人と就活の話をすれば、「エントリー50社を越えてからがスタート、とりあえず100社エントリーしておけば安心」ということを冗談交じりにいい合っていました。
また、今では考えられないかもしれませんが、企業は平気で「内定取り消し」を行っていました。あまりに普通のことだったので、学生側も「昨日内定取り消しの連絡が来た。就活続けていてよかった」なんてことをいい出す始末。互いに感覚が麻痺していたのです。
近年企業が内定を出した学生に対して就職活動の終了を迫る「オワハラ」や、学生から企業への「お祈りメール」形式の内定辞退などが世間を騒がせていますが、企業と学生の立場が逆転したことを実感します。
景気の良し悪しは、有効求人倍率や各大学の就職率といったデータよりも、人と人とのコミュニケーションの形に、わかりやすくあらわれるということを考えさせられます。
話を戻しますが、非常に厳しい景気のなか、私は数打てば当たるという投げやりな就活に納得ができず、10社程度に絞ってエントリーしていました。志望軸としては、1つはコピーライターの募集、1つは自分が本当に人に勧めたいサービスを作っている会社の募集です。
そして、幸いなことに、イー・アクセスという企業から内定をいただくことができました。このイー・アクセスという会社について、今はもう知っている人はあまりいないと思いますので、まずはこの会社がどんな会社だったのかを説明したいと思います。
イー・アクセス株式会社について
イー・アクセスが設立したのは、1999年。創業者は、稲盛和夫とともに第二電電株式会社(現在のKDDI)を創業した実業家の千本倖生。NTT、KDDIという大手通信事業社を経験した後に、ADSL回線サービスを提供するイー・アクセスを創業しました。
イー・アクセスは日本で初めて家庭用インターネットの料金を定額制にした会社であり、2004年当時、最速記録となる創業5年で東証一部への上場を果たしたITベンチャー企業でした。
また、同社はポケットWiFiという移動体通信のサービスを日本に広めた会社でもあり、当時からそのサービス名である「イー・モバイル」のほうが広く認知されていました。そして、私自身も大学時代、このサービスを愛用する人間の1人でした。
その後イー・アクセスは携帯電話事業にも参入し、NTT、KDDI、ソフトバンクに並ぶ、第4の携帯キャリアとして躍進すると思われていました。しかし、私が内定をもらった直後の2012年10月、同社はソフトバンクの完全子会社となることを発表します。
ソフトバンクグループのひとつになった後、イー・アクセスはソフトバンクのもとで経営再建を計っていたウィルコムを吸収合併し、社名をワイモバイル株式会社に変更。
さらにワイモバイル株式会社はソフトバンクモバイル株式会社への統合を経て、現在はソフトバンク株式会社の中に組み込まれています。
現在、「イー・アクセス」「イー・モバイル」の名はいずれも残っていません。
内定先企業も新卒入社企業もなくなった
実は、私は内定先企業に加えて、新卒入社企業でも会社がなくなる経験をしています。仕事やキャリアに対する私の考え方は、これらの経験から大きな影響を受けていると思います。
内定先企業がなくなって思ったこと
イー・アクセス株式会社がソフトバンクの子会社になることについての説明は、世間への情報公開後に内定者一同に対して行われました。そのときに思ったのは、私はイー・アクセスという会社のサービスが本当に好きだということでした。
今ある定額料金のインターネットサービス、パケ放題などの料金体系、移動体通信、ひいてはスマホによるテザリングなど、さまざまな先進的なサービスと、現在当たり前になっているサービスのベースを築いたイー・アクセス。
私はそのような会社を本当に素晴らしいと思い、その一員になりたいと思っていました。一方で別の企業の一部に組み込まれるということは、いずれその社名もサービス名もなくなってしまうということ。
そのことは、過去にいろいろな企業・サービスが体現してきたことであるため、わかっていました。結果として、私も含め、多くの内定者が内定を辞退したのでした。
新卒入社企業は倒産
その後、私は就活のもうひとつの軸であったコピーライター職を目指して就活を再開し、大阪にある印刷会社に就職します。配属はメディア推進室という、新卒にいろいろな仕事を経験させて、適性を見るための部署でした。
そこで私はコピーライティング、ECショップ運営、自社商品企画、営業、制作ディレクション、翻訳など実にさまざまな仕事を経験し、社会人の基礎を学んだのです。しかし、その会社は入社2年目の夏に倒産しました。
このときの倒産のことは、新卒で入社した会社が倒産して学んだ3つのことという記事の中で詳しく説明しています。端的にいうと、私は少しずつ閉鎖していく国内外の拠点の様子を見て、転職活動を始めました。
そして、全社集会で倒産の事実を聞いた翌日、エン・ジャパンという人材会社の最終面接を受け、その翌日に内定が出ました。次の会社ではコピーライターとして、文字通り寝る間もなく仕事に没頭する日々が待ち受けていたというのはまた別のお話。
「給料を上げてください」が本当の希望なのか疑問に感じて
その後コピーライターの激務に疑問を感じた私は、もう1度転職をし、今は900名規模の会社で人事兼社長秘書として仕事をしています。正直なところ、コピーライターだった頃よりも給料は上がりました。
それでも、さまざまな役割を任されるなかで、仕事量に見合っていないと感じ、一度社長に直接給与交渉をしようとしたことがあります。しかしそのとき、直前になって私は「自分の希望は本当に給料をあげてもらうことなのか?」と疑問に思いました。
そして、これまでの自分の経験を振り返り、そうではないという結論に至ったのです。私が気づいたのは、会社という存在に自分のすべてを捧げるような働き方をしたくないという思いが自分のなかにあるということでした。
同時にそれは、自分の未来を他人や組織に任せてはいけないという思いが、無意識に芽生えていることに気づいたときでもありました。過去2回、会社がなくなった経験を通じて、私は会社に依存すべきではないことを肌で学んでいたのだと思います。
社長に時間をとってもらい、私は給料アップのお願いではなく、「副業をして別のキャリアを築いていきたいので、勤務時間を適正化してください。これまでのように朝から晩まで、長く会社にとどまる働き方を見直したいと考えています」というようなことをいいました。
もちろん、不躾ではないように、いい方には気をつけて。一方で将来的には個人事業主として独立することを目指したいという意志を含めて、話をしました。
そして、社長からは、「将来そっちの仕事が軌道に乗るなら、別に毎日出社しなくてもいい。自分だっていろいろな用事で毎日ここ(本社)にくるわけではないのだから。その代わり今後も働き続けられる形を見つけて、長く力を貸してほしい」といわれたのです。
正直この言葉はとても意外なものでした。一方で、会社に依存せず、しかし会社の支援をするという関係性がとてもよいものだと思えたのでした。
世の中には心から会社が好きで、没頭できる仕事を持っている人もいるでしょう。しかし、もしも今ひとつの会社に所属し、生活のすべてを捧げるような日々に疑問や不満を感じているのであれば、自分の意志でもうひとつのキャリアを作ってみてはいかがでしょうか。
まとめ
会社がなくなる経験はイレギュラーだと思いますが、自分のキャリアは自分の行動でしか変えられません。所属している会社を辞めるほど不満があるわけではないけれど、どこか違和感や物足りなさを覚えているのであれば、パラレルキャリアを検討してみてください。
会社に依存せず、自分のキャリアを築くことは簡単ではない反面、とても心地良いものです。体の両側に支えがあるような、バランスの良さを感じます。
副業やフリーランスなど、もう1つのキャリアのスタートは、転職よりも低いリスクで今の自分を変えられます。あなたはいつでもその変化を選ぶことができるはずです。