今回は新卒で大手航空会社に就職した、ある女性の転職記録を紹介します。憧れのエアライン業界への就職、旅行系編集職への転職、そして結婚・出産を経験した彼女。パートとして社会に復帰した後には、自身の引っ越しと母の定年退職を機に、公務員へのチャレンジを決意しました。
さまざまなライフイベントを経て、フィールドを変えながら活躍する女性の姿を辿っていきたいと思います。
今回は新卒で大手航空会社に就職した、ある女性の転職記録を紹介します。憧れのエアライン業界への就職、旅行系編集職への転職、そして結婚・出産を経験した彼女。パートとして社会に復帰した後には、自身の引っ越しと母の定年退職を機に、公務員へのチャレンジを決意しました。
さまざまなライフイベントを経て、フィールドを変えながら活躍する女性の姿を辿っていきたいと思います。
1. 短期大学・専門学校を経て、憧れのグランドスタッフに
彼女がエアライン業界を目指したのは憧れからだったといいます。最初のチャレンジは外国語短期大学に進学後、初めての就活で国内大手航空会社2社の一角を志望しました。しかし、結果は不採用。ですが、彼女は憧れを追い続けました。
彼女が見つけたのは、空港とつながりのある専門学校でした。短期大学卒業と同時に、専門学校に通い、学校の紹介で空港スタッフのアルバイトをスタートしたのです。そして、専門学校卒業時の就活ではアルバイトで培った経験を武器に、選考を突破。
初めての就活で自分を不採用にした会社の選考は受けず、もうひとつの国内大手航空会社のみに絞り、内定獲得を果たしました。空港アルバイトによって現場の知識と経験を培っていた彼女の受け答えは、面接官を納得させ、共感を得たといいます。
自分が話をするたびに大きく頷く面接官の姿を目にして、選考通過を疑うことはなかったそうです。ちなみに彼女がエアライン業界の中でも、グランドスタッフという職種を選んだのは「乗り物酔いがひどかったから」だということでした。
さて、熱い気持ちと冷静な選択によってグランドスタッフになった彼女ですが、その仕事は華やかな反面、厳しい縦社会の文化が残っていたといいます。たとえば女性上司に怒鳴られ、物を投げつけられることも珍しくなかったそうです。
そのような指導が続くなかで黙っていることができず、泣きながら怒り、いい返すこともあったという彼女。多くの人の憧れを集めるエアライン業界ですが、内側にはまったく異なる景色が広がっていたといいます。
それでも空港で働けることは誇らしく、制服を着るといつも身が引き締まる思いだったと、彼女は当時のことを振り返っています。また、人々を海の向こうに送り出し、迎える仕事は楽しく、大きなやりがいを感じていたそうです。
入社2年目には昇格試験に合格し、3年目からはカウンター責任者を務めるなど、憧れの職種に就いた彼女のキャリアは順調でした。ところが、入社4年目、勤務中に出会ったあるお客様との話がきっかけで、彼女は自分のキャリアを見つめ直すようになります。
2. 旅行パンフレットの編集職へ転職、そして結婚・出産
グランドスタッフになって迎えた4度目の夏、彼女は空港での勤務中にあるお客様と出会います。そのお客様は車イスに乗っていて、搭乗をサポートするために行動をともにする彼女に対して「自分は広告系企業を経営している」と話を始めたそうです。
いろいろな仕事を経験した後に企業の社長になったというお客様の話に対して、自分は新卒で航空会社に入社し、以来ずっとグランドスタッフをしていると彼女は話しました。お客様は彼女のキャリアに対してなにもいわなかったといいます。
それでも彼女はこの話がきっかけで、「自分は一生この仕事をするのか」と考えるようになったそうです。「女性である自分は働ける期間も限られている」「ほかにもやってみたいことがある」といった思いがどんどん大きくなり、彼女は転職を決意。
そして、なにかを作る仕事をしたいという気持ちから編集職への転職を志望し、旅行パンフレットの編集職になったのでした。旅行パンフレットという媒体を選んだのは、グランドスタッフで培った知識と経験を活かしたいと思ってのことだったといいます。
編集としてはじめて担当したのは、海外の有名都市をめぐるクルージングのパンフレットでした。紙面割りを考えて写真を決め、文章構成をつくって制作チームへ。上がってきた文章や全体のバランスをチェックして入稿。仕上がったパンフレットは全国の旅行代理店の店頭に並びました。
自分が手掛けたものを街で見ることができ、多くの人々の手に取ってもらえる。そんな旅行パンフレットの編集職は、彼女にとってとても楽しく、やりがいのある仕事でした。しかし、2年目に結婚し子どもを授かった際、会社から衝撃的な言葉を聞かされることになります。
子どもの妊娠を報告した彼女がいわれたのは「過去に産休から復帰した人はいない」「帰ってきたいといわれても会社の状況によるので、今一区切りつけておいたほうがいい」という、暗に退職をすすめるものだったのです。
このような言葉を聞いた彼女はショックを受け、大好きな仕事に裏切られたような気持ちになったといいます。そしてその後、最終的に彼女は自主退職し、子どもを出産したのでした。
3. パートとして仕事を再開、正社員復帰の道として選んだ公務員
子どもを出産後、復帰する仕事を探す彼女が抱いていたのは、子育てを応援してくれる会社で働きたいという思いでした。そして、社内に託児所のある会社を見つけ、子育てと仕事を両立できる環境で社会に復帰することになったのです。
彼女はそこで、自分と同じように子育てをしながら働くパートスタッフたちと出会ったいいます。年齢や経歴が全く異なる仲間とともに人事の仕事に携わることで、自分ひとりだけが頑張っているわけではないと実感できたのでした。
パートとして働きはじめてから2年後、彼女の生活に変化が訪れます。それは新居購入に備えた引っ越しで通勤時間が2時間に伸びたこと、そして母が定年退職を迎えたことでした。
現実的な通勤距離で新しい仕事を探そうと考えていたタイミングで定年を迎えた母。その姿を見て、自分がしっかりして安心させてあげたいという思いが沸き上がってきたのです。
そして、パートではなく正社員で働くことを検討していたとき、編集の仕事をしていた時代の上司から公務員になることを薦められました。公務員として活躍している元上司から「公務員に向いていると思う」といわれた彼女は、公務員試験へのチャレンジを決意します。
大手航空会社の選考を受けていた時とはうって変わって、「自分には難しいのではないか」という思いがあったといいます。それでも着々と選考は進み、最終面接を迎えた彼女。応募者400名以上という厳しい倍率をくぐり抜け、1名だけの採用枠を勝ち取ったのでした。
彼女はこれまでのキャリアを振り返り、「自分のそばには、いつも助けてくれる人がいた」と話してくれました。公務員への切符を手にしたことについても、前の職場の上司がきっかけをくれたこと、そして今の職場の仲間たちからの後押しが不可欠だったといいます。
きっとこんなふうに謙虚な気持ちで、周囲に感謝の気持ちを抱ける彼女だからこそ、周りの人々は応援してくれたのでしょう。
今後は自分のような働くママさんたちのサポートを、公務員という立場からしていきたいという彼女。これまで培ってきた知識や、時に不本意な選択を強いられた経験は、社会の女性たちを支援していくうえできっと役立つものになるはずです。
4. まとめ
元グランドスタッフ・現公務員と、人目を引く仕事経験を持つ女性の転職履歴を辿ってきましたが、いかがでしたか。最後に今回の内容をまとめます。
男女の間に能力の差はありませんが、結婚や出産など、女性には仕事の場面でいくつかの制約があります。しかし、それはそれほど悲観することではありません。
今回話を聞かせてくれた女性のように、「女性である自分は働ける期間が限られている」ということを原動力にし、やってみたかった仕事にチャレンジしても良いのです。
また、出産を理由に退職を迫るような会社に、しがみつく必要はありません。世の中には、子育てと仕事を両立する女性を大切にしてくれる会社がたくさんあります。子育てと仕事という大変な役目を同時に果たす大変さを理解し、歩み寄ってくれる場所を探せば良いのです。
重要なのは苦しい場所で耐えることではなく、いつも自分らしく、そのときそのときに大事なものを優先できる環境に身を置くことだと思います。過去の経歴も現在所属する場所も、自分を縛るものではありません。今この瞬間に、実現したい自分に向かって一歩を踏み出しましょう。