社会人2年目、勤めていた会社が倒産しました。20代前半だった当時の自分にとっては大事件で、必死になってこのアクシデントに立ち向かったのを覚えています。しかし、今振り返って思うのは、私にとってこの出来事はなくてはならない貴重な経験だったということです。今回は会社倒産という出来事を通じて学んだ3つのことを、みなさんにお伝えしたいと思います。
毎年8000以上の会社が倒産しているという事実
「日本では1年に8000社、毎日20社の会社が倒産している」と聞くとどう感じますか。東京商工リサーチによると2018年度の倒産件数は8235件。365日で割れば、毎日20社以上の法人が事業継続不可能に陥っているということになります。
しかも、この数は景気の良い今の日本での話です。私が新卒2年目で会社の倒産を経験した2013年度までさかのぼってみましょう。当時はリーマンショックと東日本大震災という2つの打撃から、日本経済がまだ立ち直れていないタイミングでした。同年の倒産件数は1万855件と、2018年度と比べて約25%多いというデータが残っています。
当然就職活動においても、現在とはまったく異なる状況でした。今では考えられないかもしれませんが、当時は企業から突然内定をなかったことにされる「内定取り消し」という言葉が世間を飛び交っていました。
「売上が大きくショートしたから」「会社が他社に買収されたから」「配属予定だった事業所を閉鎖することになったから」など、理由はさまざま。電話1本、あるいはメール1通で、一方的にがんばって獲得した内定をなかったことにされるのです。しかも、内定取り消しに対して企業がなにかしらの責任を持つことはありません。
大学で友人に「内定取り消しにあった」と話せば、返ってくるのは「あるあるやなあ、わかるわ」という言葉でした。それほど世の中が厳しい状況だったのです。
学び① やりたい仕事のそばに身を置く
そんな状況の中、就活生だった私は、周囲と同じように内定取り消しを経験しつつも2社からの内定を獲得していました。1社は大手通信キャリアの一角。グループ全体の売上高は2013年時点で5兆円を超える世界的企業で、企業の名を冠したモバイルサービスを取り扱う事業会社でした。
革新的なサービスを提供する会社に加わり、生活インフラの一部となりつつあった通信サービスを日本中・世界中に広めていきたかったためです。
一方、もう1社は創業60年の歴史がある印刷会社。売上高は30億円ほどで、従業員数は約100名でした。広告に関わる仕事、もしくは言葉を扱う仕事をしたかったため応募しました。大学時代からコピーライターを志し、何とか近い仕事に就きたいという思いが当時の私にはあったのです。
その会社は紙媒体やwebに加え、取扱説明書の制作を得意としていて、「これまで自分が触れてこなかったライティングに触れる機会があるのでは」という期待感がありました。一方で印刷業界が厳しい状況にあり、多くの印刷会社の売り上げが低迷していることも認識していました。
最終的に私は、印刷会社で働くことを選びました。理由は好きなサービスよりも、やりたい仕事につながる可能性のある場所で働きたいと考えたからです。もしあのとき、もう一方の選択肢を選んでいたら、私は大好きなサービスを広めるというミッションのもと、大きな組織の一員となっていたでしょう。
今でもその会社のサービスが利用している私にとって、それもとても意義のある仕事だと思います。本当に好きなサービスを提供する会社のために、いくらでも仕事に打ち込めたのではと想像できます。しかし仕事内容としては、自分のやりたい仕事と全く違っていたはずです。
そして、「やりたい仕事につながる可能性のある場所で働く」ことを選んだ私は、コピーライティングを含め、入社後にさまざまな制作物に関わることができました。
商品パッケージを企画したり、Webページ制作のディレクションを担ったり、展示会の準備・手配を任されたり、取扱説明書の原稿作成を担当したり、その後国内に広く浸透する充電池のキャッチコピーを考えたり、ある観光地のイメージキャラクターコンテストで入賞したり、紙素材のEC商品を作って販売したり……。
多種多様な経験をした2年弱という期間を経て、私は2社目の会社でコピーライターの名刺を持つことになりました。広告の仕事・言葉を書く機会のある仕事をしていたことが、コピーライターになるチャンスをもたらしてくれたと考えています。
見方によっては、「新卒2年目で会社倒産なんて就活失敗じゃん」「大手行きを蹴るとはもったいない」ととれるかもしれません。それでも私にとっては、「社会人になってわずか2年目でどうしてもやりたかった仕事に就けた」という結果に他ならないのです。
一般的に経験者採用がほとんどのコピーライター募集に、2年未満という浅い社会人経験でチャレンジできたのは、「会社倒産」というきっかけがあったからだと思います。そして、選考を通過できたのは、あらかじめやりたいことのそばに身を置いていたからこそです。まったく違う業界や職種の仕事をしていたら、別の結果になっていたでしょう。
学び② 不都合な違和感から目を背けない
大きな変化が起こる前には、兆しがあるものです。それはネガティブなことだけではなく、だれかとだれかが付き合うとか、だれかが部活で部長に抜擢されるとか、そういったときにもいえるもの。チャンスをつかむためにも、ピンチにそなえるためにも、大きなターニングポイントにつながる小さな違和感から目を背けてはいけません。
倒産した印刷会社で、社長から「これ以上事業継続が難しい」という説明があるまでには、さまざまな兆しがありました。海外支部が2カ所とも閉鎖し、国内の営業所から少しずつ仲間が引き上げてくるのを、本社のメンバーはみんな見ていたはずです。それでも倒産という事実を突きつけられるまで、だれ一人なにもしませんでした。
みんな冗談で「もうウチもやばいな」「急に給料出なくなったらどうする?」と言い合い、不都合な違和感から目を背けていたのです。心のどこかで「さすがに倒産はしないだろう」と思っていたのかもしれません。しかし、ついに倒産する運びとなった説明を社長から聞いたとき、ほとんどの従業員は驚いていませんでした。
口々に漏れたのは「やっぱりそうか」という言葉。みんな本当はどこかでわかっていましたし、違和感にも気づいていたのです。不都合な違和感からは目を背けたいものですが、大きな変化が起きてから行動していては、後手に回ってしまいます。悪い状況を後手で覆すのは簡単なことではありません。
私はシンガポール支部が閉鎖となり、入社以来メールと電話でしか話をしたことがなかった駐在社員と初めて会った日に、転職サイトに登録しました。国内外10の事業所のうち、3つ目の事業所が閉じたタイミングでした。そして、ある人材会社の最終面接前日のことです。全社員が会議室に集められ、社長から倒産の話を聞かされました。
社長からは会社がなくなることと、一方で希望する者には今と同じ仕事ができる方法を用意しているという話がありました。社長は事業継続が難しいと判断した段階で中小企業基盤整備機構に相談し、従業員の受け入れ先を模索していたといいます。
結果として、別のエリアで事業を展開している印刷会社が手を挙げたのです。新たなエリアでの販路拡大のため、多くの取引先との接点がある営業社員と確かなスキルを持つ技術スタッフ、内製でさまざまなデザインを手掛けてきたクリエイティブメンバーを引き取ってもいいと申し出たのでした。
結果として「倒産によって職を失うのは、代表の座を辞する自分ただ1人だ」と、社長は自ら説明していました。だれよりも早く倒産という不都合な事実を覚悟した社長は、だれにも知られず奔走し、従業員を守る道を作っていたのです。この事実を知った私は、自分で行動した結果をしっかりかたちにしたいと思い、翌日の最終面接に臨んだのでした。
学び③ 自分の未来は自分の力で切り開く
最終面接の結果は面接翌日の昼休みに電話で知らされました。第一志望だった人材会社から「ぜひコピーライターチームに加わってほしい」といわれたときには本当にうれしかったことを覚えています。
その後、私は印刷会社がなくなる1カ月前の月末に退職届を書き、直属の上司を通じて人事に提出しました。直属の上司からは「一緒にこないか」という声をかけてもらいました。上司は、社長とは別のルートで新卒の面倒を見る場所を見つけているといいます。
しかし、すでに自分にとってベストと思える道が見えていた私は、会社の状況を見て転職活動をしていたことを話し、その打診を辞退しました。そして、退職届を提出した日の夕方にデスクの内線が鳴ったので取ると、相手は名前も名乗らずこう言いました。
「おう黒木、ちょっと社長室こいや」
社長室に入ると、中には社長と人事担当者がいて、社長のデスクには見覚えのある封筒が1つ置かれていました。「はずせ」という社長の言葉で、社長室で出ていく人事担当者。社長は退職届を手に取って、立ち上がります。
「おまえ、会社が傾いて、他のやつらがなにもしとらんなか、だれにもいわずに転職活動しとったらしいのう」
ちなみに社長は40代手前で、いつも髪をオールバックにし、経営者のそれとはまた違う威圧感のある話し方をする人でした。そんな人を相手に隠しごとができるはずもなく、私は「はい、していました」と正直に回答したのです。すると社長は、怒られるのを覚悟していた私に次のような話をしてくれました。
「そうか。おまえすげえな。こういうとき、自分の未来のために考えて行動するのはそう簡単なことじゃない。不安でだれもなんもできんようになっとるときに、周りの空気に飲まれず動いとったって聞いてな、おまえを賞賛したくて呼んだんや」
「その行動力があればおまえはこの先ずっと大丈夫や。今回のことで自分からこの会社を出ていくのはおれ1人やと思っとったけど、まさかもう1人おるとはな」
社長は笑っていました。入社してからほとんど見たことのなかった社長の笑顔です。私は自分の努力を肯定してもらえる言葉に意表を突かれ、思わず目頭が熱くなりました。さらに社長は不敵な笑みを浮かべて続けます。
「おまえだから言っとくけどな、おれは無職になってこの会社を出ていくが、これで終わりじゃねえから。また事業をやる。もっとちゃんと成長していける会社を作り直す。だからおまえもせいぜい成長しとけよ」
私の行動を認めてくれてエールをくれたこと、従業員全員を守ってくれたこと、最後まで格好つけてくれたこと、なにもかもに感謝の気持ちがあったものの、わざわざそんなことをいうのは無粋に思えました。なので私は、印刷会社で学んだことやこれからやりたい仕事について話をして、社長室をあとにしました。
社長とはこれが最後の会話になりました。私の最終出社日、社長は不在でした。おそらく事業継承のために方々を訪れていたのだと思います。退職届を提出した日に社長と話せたことで、私は晴れ晴れとした気持ちで会社を後にすることができました。
自分の未来を自分で切り開くことは決して悪いことではありません。しかし経験したことのない状況になればなるほど、自分ひとりだけで行動することが難しくなります。それでも、自分の思い描く未来にたどり着くには自分自身がアクションを起こすしかないのです。
はじめての出来事でどうしてよいかわからないとき、自分が周りと違う動きをしていることに不安を覚えるときには、自分の未来を見つめ直してください。目指す未来へとつながると思える行動こそが正解になるのです。
5.まとめ
最後におさらいです。
■やりたい仕事のそばに身を置く就職活動をするとき、できるだけやりたい仕事に近い場所に身を置くべきです。いつか転機が訪れたときに、全く違う業界・職種からよりも、どこか接点・共通点のある経験を持っているほうがシフトしやすくなります。
■不都合な違和感から目を背けない大きな変化が起こったとき、後手に回っていては、自分の望む結果にたどり着くのが困難になります。不都合な違和感こそ早い段階でしっかりと受け止め、先手を打って行動することが大切です。
■自分の未来は自分の力で切り開く 自らアクションを起こす人だけが、自分自身を望む未来へたどり着けます。周りの状況にとらわれず、自分のために考え、行動することが大切です。 今回紹介した3つの学びは社会に出るときだけでなく、社会に出て少し時間が経ってからも参考にしていただける内容かと思います。頭の片隅に置いておいていただき、あなたにとって大切な選択をするときに思い出していただけると幸いです。
参考サイト 東京商工リサーチ 全国企業倒産状況 【2018年度】https://www.tsr-net.co.jp/news/status/yearly/2018_2nd.html 【2013年度】https://www.tsr-net.co.jp/news/status/yearly/2013_2nd.html