海を越えてアジアで成功した現代のシンデレラガール「JKT48仲川遥香」

その日、台北に住んでいる私は街の中心地にある「ジュンク堂書店」に立っていました。ここで定価の1.5倍もする日本の書籍を取り寄せてまで買いにきたのは他でもない、元JKT48の仲川遥香さんが出版したエッセイ本「ガパパ」を読みたかったから。

日本のみなさんは、インドネシアで大成功した現代のシンデレラガール「仲川遥香」をご存知でしょうか?

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元JKT48の仲川遥香とは?

英国のマーケティング会社が毎年発表しているTwitter影響力のある世界の女性ランキングに、レディーガガなどと並んで日本人女性がランクインしていることをご存知でしょうか?

彼女は今「インドネシアで1番有名な日本人」として、現地のバラエティテレビやCMに引っ張りだこの人気者なんです。

「彼女」とは、アイドルグループAKB48の3期生だった「仲川遥香」通称「はるごん」のことです。

「はるごん」と聞くと、アイドルにちょっと精通している人なら

  • ああ〜。あの渡り廊下走り隊でまゆゆの後ろのほうで踊っていた子かぁ
  • 前田あっちゃんとすごく仲がよかったあんまり売れていない子?

といった知識があるかもしれません。でも当時、一般的に彼女のことを知っている人は少なかったと思います。

では、日本で目立たない存在だった「はるごん」がなぜ、世界的に影響力がある女性に選ばれ、インドネシアで1番有名な日本人になれたのか。それは、彼女が自分の力で「陽のあたる場所」を見つけ出したから。

「インドネシア」で自分の居場所を見つけ、ひたむきに努力し輝く彼女の姿をみていると、立場は違えども年齢が近く、同じようにアジアで居場所を見つけ働く自身の5年間と重ねてしまう部分もあり、とても励まされました。

インドネシアへの移住は、2012年のこと。JKT48異動のきっかけは?

日本でAKBの3期生として、まゆゆやゆきりんと一緒に活動をしてきた仲川遥香さん。2009年頃から一気に起こったAKBブームで、センターのあっちゃんはもちろん、2期生の大島優子さん、3期生のまゆゆ、ゆきりんあたりの定番メンバーは、誰もが知っているのではないでしょうか。

そんな凄い同期に囲まれながら、当の仲川遥香さんはというと、AKB48全盛期にも関わらず、鳴かず飛ばずの状態でした。

AKB48としてのお仕事も少なく、やることも同じで、このままずっとこんな感じなのかなって思ったら、虚しくなってきたというか、将来についても悩むようになりました

(本文引用)

そんな矢先の2012年3月。当時一緒に暮らしていた、AKB48のセンターであるあっちゃん(前田敦子さん)が、AKB全盛期に埼玉のスーパーアリーナで衝撃の卒業発表をします。

これからも一緒に活動したいけれど、彼女は新しい道に進むと決めた。その姿があまりにもかっこよくて、そんなあっちゃんを見ていたら、私も何かがふっきれた

そして、自分が進みたい場所を考えたときに、なんとなく「日本国内」ではなく、海外で挑戦したいと仲川遥香さんは思ったそうです。

そのとき、2011年にジャカルタでAKB48の一員として海外公演に出演したことをふと思い出しました。海外公演でのジャカルタで熱気がすごかったこと、またメンバーが素直で明るかったことなどを思い出し、「これだ!」とすぐに総合プロデューサーの秋元康先生を探し、直談判しました。

秋元先生は、「なに!?海外か!?」と、とても驚いたそうです。そして、2012年からJKT48として電撃の「海外移籍」が決まります。

時を同じくして、この頃は売れ始めていたさっしー(指原莉乃さん)がスキャンダルでHKT48へ異動になっていたので、グループとして良からぬことをしたさっしーが、日本の地方都市へ異動になっているのに、それよりも知名度の低い、しかも東南アジアに、日本から離れて自ら志望するってどういうこと!?と思った人が多いのではないでしょうか?

当時、AKBにあまり興味のなかった私も、仲川遥香のこのニュースを見て同様の想いを感じていました。しかしその決断は彼女の人生にとって非常に重要なものでした。

インドネシアでの彼女の成長には三段階あります。「ガパパ」を読んで、さらに彼女のファンになった私が、「仲川遥香インドネシア成長物語」を大きく3つに分けて、お話したいと思います。

文化の違いに騒然!何とか現地に馴染もうと努力した1年目

一つ目は、現地の文化に馴染む努力をした1年目。20才になるまで、海外で生活をしたことのなかった純ジャパの仲川遥香さんが「インドネシア」で、現地の方と同じように接されるくらい馴染むってどれだけ大変なことか想像できますか?

私は、21才のときに中華圏に1年間留学し、その後英国にも住みました。すでに中国語が話せ、中華圏の文化もよく理解している私ですら、台湾に就職したときは、カルチャーショックに苦しみ、心が荒んでいるときは「こんな野蛮な文化に馴染みたくない」なんて拒絶したほどです。沖縄から飛行機で30分、日本でも旅行やタピオカで大人気の台湾で、です。

おそらく韓国や台湾よりもずっと文化的には違いがあり、発展途上中であろうインドネシアに、20才で言葉もわからず渡り、現地のスタッフやメンバーの中で日本人ひとりでやっていく。メンバーがご飯を手で食べれば、同じように真似して手で食べる。子供じゃないのですから、彼女の中にだってある種の葛藤があるはずなんです。それを「私はここで成功するんだ」と心に決めて、現地に馴染む努力をするっていうのは並大抵のことではありません。

ときに東京へ1人で残してきたおばあちゃんを想っては涙してしまう彼女の姿に、私も涙が止まりませんでした。

JKT総選挙でなんと2位を獲得!大塚製薬など多くのスポンサーを獲得しインドネシアでもっとも有名な日本人となった。

仲川遥香さんの成長物語、第二章です。

この部分だけは、日本でも軽く報道されていると思うのですが、仲川遥香さんはインドネシアの国民的なバラエティ番組にレギュラーで出演することになり、これが全国民2億人のうち視聴率が50%以上のすごい番組のため(これもインドネシアならではですよね・・)、顔が売れるようになります。このバラエティ番組での活躍もすごいです。

「外国人」である彼女が話すインドネシア語は、訛りがあって可愛らしく、現地の人には面白おかしく聞こえるようなのですが、「笑ってもらえるなら、このキャラクターで行こう」とかなり体を張っているのです。インドネシアの番組で、日本人のアイドルが気取らずにインドネシア語を操り、インドネシア人に「おばかな子だな〜」って笑われる。未だかつてこんな芸能人はいなかったはずです。

インドネシアで1番顔が知られているパイオニアになったが故に、人気はうなぎのぼりになり、JKTの総選挙では2位に。それから、インドネシア現地のポカリスウェットやオロナミンCなどのCMのキャラクターに抜擢されるようになります。

この頃から日本のバラエティ番組などでも「仲川遥香さん」に対する特集が組まれるようになったり、ネットニュースで話題になったりします。

チームTのリーダーに抜擢。何を言っても聞かない子供たちをハルカはどうやってマネジメント仕上げたのか。

現地の言葉を操り、文化になれ、友達もたくさんできた。総選挙では2位まで上り詰め、レギュラー番組やCMをたくさん抱えるようになった売れっ子タレントの仲川遥香さんが次にしたことは、年少チームのマネジメントでした。これが彼女のJKT48としての成長の最終章だと思います。

AKB48にハマったことがある人ならわかると思うのですが、AKB系アイドルグループはメンバーがとにかく多いので、グループの中でもさらに細かくチームが分かれています。AKBなら、チームA、チームK、チームBという具合です。

これをインドネシアのジャカルタにあるJKT48に置き換えると、この時点でチームJ、チームK、チームTが存在していました。仲川遥香さんは、もともと一期生という扱いだったので、1番レベルの高いチームJに属していたのですが、JKT48をもっとよくするために、「チームT」のリーダーを任されることになりました。

この辺りは日本のテレビやマスコミでも紹介されていないので、彼女のリーダーとしての本当の苦労は、本を読まないとわかりません。10才も年の離れた外国人の少女たちにのリーダーを務めるのがどれだけ大変か。

「有名になりたい」とすら思っていない、ただ「楽しみたい」と思っている少女たちに飴と鞭を使い分け、パフォーマンスを向上させなくてはいけません。

このマネジメント、リーダーとしての経験が、彼女を1番強くしたのではないかと思います。アジアで日本人1人の中、同じように(と言っても規模が全く違うので比べるのもおこがましいですが)チームのマネジメントをしている同年代の女性として、共感せずにはいられませんでした。

詳しくは、ぜひ本を手にとって読んでほしいです。

最高に輝ける場所を見つけるための「7つのポイント」

「ガパパ」の最後には、「最高に輝ける場所を見つけるための7つのポイント」を紹介しているのですが、全てのポイントにおいて激しく共感しました。

私が普段から考えていることでもあったので、インドネシアで大成功している仲川遥香さんに励まされているような気持ちになり、元気が出ました。

本文にある7つのポイントのうち、特に「うんうん」と首を縦にしてうなづいてしまった3つのポイントを厳選して紹介したいと思います。

必要とされる場所を探そう

  • 「必要とされている」ことが「生きるためのエネルギーになる」
  • 国境を取り払って、あなたの実力で「輝ける場所」を探すこと

仲川遥香さんは、日本は190か国あるうちの1か国でしかないのだから、日本でうまく行かなかったのなら他の国に行ってチャレンジしてみれば良いと言います。

また、「日本で活躍するタレントのほうが、インドネシアで活躍するわたしより幸せだとは誰にでも言えないでしょう。」とも。場所がどこであれ、「活躍できない」のでは、そもそも幸せになれないのです。

これは、日本での就職してから居場所を見つけられなくて、台湾に来て上場企業でマネージャーとして世界を飛び回る生活をしている私の心にグッときました。

そうだよ、「日本でOLとして働く女性のほうが、台湾を拠点に世界を飛び回る私より幸せ」だなんて誰にも言えない、って。

日本人という才能に目覚めよう

日本で生まれ育った私たちには、他の国で育った人がお金を出しても手に入らない「日本人としての美徳」が知らず知らずのうちに身についているのです

これは「ガパパ」を読む前から私自身が感じていたことで、【「令和」時代に生きる若者は、中国企業で働く心構えをせよ!】という記事でも、

日本で生まれ育ってきただけで中国人からすれば「超真面目な人材」ですので、いつも通りの姿勢で仕事に向かえば、会社での出世は簡単だと思います。心配いりません。

と自分なりの考え方をお話しています。日本人って、真面目で優秀なんですよ。

だから日本でうまくいかなかったとしても、海外に一歩出るだけで特別な存在になれちゃうこともあるんです。これを利用しない手はないですよね。

初期メンバーになろう

すでにうまく行っている場所へ行くよりも、これから新しく始める場所、始めたばかりの場所へ行った方がいい

これは仲川遥香さん自身の経験を元にお話していることですが、「パイオニアになれ」「ブルーオーシャンを探せ」という言葉があるように、非常に正しい話だと思います。

普通の人からみれば「なぜそんなことをするの?」と思われるような場所にこそ、チャンスがあります。今の環境で1番になれないのを知っているならば、1番になれる場所に移ったら良いのです。自分を無理に変える必要はありません。

まとめ:仲川遥香のエッセイ「ガパパ」は、海外で働く全ての女性の励みになる

仲川遥香さんという、普通の女の子がインドネシアでどうやって国民的アイドルまで上り詰めたのか、成長の過程を三段階にわけて書いてきました。

海外で働くことを辛く思ったり、目標を見失ってしまったときに読み返すと、とても元気をもらえます。これだけ頑張っている人がいる、そして努力はきっと報われるんだ、と励みになります。

特に、海外で働く女性ならば共感すること間違いなしなので、読んで欲しい本です。

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